栃木/宇都宮に移ってきて、県の教育委員会の監査に関わったのをきっかけに、学校/教育分野の相談に応じたり、実際に学校や教育委員会を訪れて物事の解決にあたるようなことが増えてきました。
ちなみにスクールローヤーと呼ばれるのは、例のドラマも含めて、行政から学校側に派遣されている弁護士の通称なので私はそれに当たらないというか、強いて言えば「(在野の)スクールローヤー」ということになるんだと思いますが、そもそも教育分野に携わっている弁護士がもともと多くないと思うので、少しここに記事を残しておきたいと思います。
ちょっと特殊な教育行政分野
もともと行政関係の分野には、大学時代の同級生の多くが関わっていることもあってなじみやすく、以前から関わってきたのですが、この学校や教育の分野というのは行政の分野としてもかなり特殊です。
公立学校における教育活動も「行政サービス(という言い方さえもやや違和感がありますが)」ではありますが、そこに携わる行政職員の多くは「教員」、つまり「学校の先生」たちですし、サービスを受けるのは「住民」というよりも、「児童」「生徒」「保護者」ですから、他の行政分野と比べてに、人間関係が密であり、また、生活に直結した私たちに身近な分野だという特徴があるんですよね。
そこで扱われる問題は、法律的にもかなりエッセンシャルというか、(特に子供たちの)人権に直結する分野でもあって、そして、解決にあたってもいろいろなことを考えなければならないことが多くて。学校って、ある意味で「社会の縮図」のようなところがあるんですよね。
たとえば「いじめ」に関すること
一時は「いじめゼロ」みたいなスローガンが掲げられた時期もありますが、今は現実を見据えて「いじめは必ずある」ということを前提に、「できるだけ早く発見し、深刻化しないように対応していく」という考え方に変わってきています。(これは、ちょっとサイバーセキュリティの分野の考え方の進化に似ていますね。)
そして「いじめ」への対処って、法律事件としてみてもかなり難しいんですよ。例えば、以下のようなことですね。
- いじめの具体的な行為を一つとっても、刑法に触れる犯罪行為(暴行、傷害、名誉毀損etc)もあれば、直接は法に触れないハラスメント(仲間はずれなどの心理的嫌がらせ)のようなものもあって、そのことによって取り扱いが随分変わってきます。警察に相談すべきものもあれば、そうでないものもあるってことですね。
→ とはいえ一般の方にとっては、警察に相談すること自体が大事(おおごと)に思えるわけで、事件の当事者(事件の直接の加害者・被害者)ではない学校関係者からすると相当に躊躇われることのはずであり・・・(専門家の助言なしに)そう判断することはかなり大変だろうと思います。 - 学校や先生の立場からすると、いじめをした側の児童/生徒や保護者とも、その後も関係を続けていく必要があって、指導におけるメッセージの伝え方には、相手の状況に応じた相当難しい教育的/心理的配慮が必要になってきます。
→ 国や都道府県が出しているガイドブックを見ると「毅然として、それでいて親身に」と端的に書いてあるのですが、言うは易し行うは難し、そんなの熟練の司法関係者でも相当に難しいぞ(簡単に言いすぎじゃない?)と思います。 - 子供や保護者は、先生や教育委員会といった権威のある人たちを前にすると萎縮するところがあるのが自然で、自分たちの立場や経験をそのままに表明することが難しい傾向があります。また、被害にあった方は不安だったり動揺している部分があったり、「自分にも責任があるんじゃないか」とか「間違ったことを言ったら大変なことになるかも」ということを考える方も少なくないので、聞き取りにあたっては相当の配慮が必要になってくるものです。
→ 被害者支援というのは司法関係者にとっても、被害者の方の支援は相当に技術も配慮もいる領域で、これを特別な訓練を受けているわけでもない教員がやるというのは至難の業のはずなんですが。。。
そんなふうに司法の専門家にとってもかなり難しいことを、学校現場は一体どうやってやりくりしているのだろう(いや、相当無理して対応しているはず・・・)と思うのです。
支援事情あれこれ
なので、最近は、心理の専門性であるスクールカウンセラーや、福祉の専門性を持ったスクールソーシャルワーカーが、学校に配置(といっても、予算の制約もあって複数校に1名配置なので、ぐるぐる巡回して対応する形になるわけですが)されるようになってきました。
場所によっては、弁護士も遅まきながらスクールローヤーとして派遣されることもありますが、現場にはそこまで深く入り込んでいない印象というか、まだ連携が始まったばかりという感じですね。今まで先生たちでなんとかしてきちゃった実績もありますから、なかなか外部の専門家とどう協力したらいいのか自体、あれこれと模索している感じがします。
あと、前提として強調しておきたいのは、日本の学校の先生の置かれている労働環境って(国際比較してみると)かなりキツイものなのです。ようやく教育現場でも働き方改革が始まりましたけど、先生一人当たりの受け持ち生徒数がそもそも他の国より10名くらい多いし、他の国ではしてない事務作業や部活指導みたいな役割もこなすし、結果長時間労働が当たり前なんですよね。
ちなみに、そのことについて聞くと、ほとんどの先生が「長時間労働自体は苦じゃないです!(いや、大変なはずなんですけど)」「でも、強いていうなら、ご家庭への対応とか人間関係的なところはとても難しいです・・・」という感じで。
僕も先生をしている友人がいるのですが、教員のメンタル問題(最近かなり増えている)の原因の大半は「(保護者との)対人関係」だと聞きます。そして「その分野の実践的なトレーニングは、座学で受けるくらいで、ほとんど使えるようなものはないんですよ・・・」ということも。まぁ、あんまりマニュアル的になってほしくない分野でもありますが、それでも先生が「身を守る術」くらいは携えられるようにした方がいいんでしょうね。先生も人間ですから。。。
ちなみに、こういう語りってまるで弁護士の仕事の話を聞いているかのようで(いや、弁護士の方が労働時間に文句言ってる人が多いような気がしますが・・・)、なんとなくシンパシーを感じてしまうところもあります。一般的には、マルチタスクを常時求められ、かつ、感情労働が避けられない長時間ワークですからね。そして、そういう環境だと、自分のスキルを本格的に磨くトレーニングの時間もとりにくく(いや、それ以前に休息した方がいいのですが)。。。。教育現場って大変だなぁと思います。
そのあたりの実態を知ってみると、学校関係の相談って、学校にそんなに「完璧」を求めることはできないんだよなぁ、って思いがいつもあります。一方で、学校って生活に密接であり、お子さんのことが関わっているだけに、社会からの期待値はいつも高い場所でもあることのギャップは確実にありますよね。
なので先生方って、いつも(そう言った世間の空気を意識してなのか)「ひたすらに謝っていて、大変そうだなぁ」と思っています。でも、そもそも高い要求に少ないリソースで応えているわけですから、あまり気に病まないでほしいなぁとも思っています。
最後に「インクルーシブ教育」についての話も。
インクルーシブ教育の分野は、国連から勧告を受けちゃうくらい、日本のシステムは障害を持っている子に対して排除的(通常教室で環境的な配慮を受けながら過ごすことが難しく、事実上、特別支援学級に追いやられてしまう)傾向があるのですが、これって多分上記の事情と無関係ではなくて。
他の国よりも多数の子供達を受け持たされて、かつ、教育活動以外の事務や部活動指導をやらなきゃいけない先生のクラス指導が「個別のケア」よりも「集団管理」に向かうのは、ある程度、どうしようもない面があると思います。もちろん決していいことではないのですが、これは経済的に不利な扱いを押し付けられた結果、患者に対する対応が機械的になりがちな精神科病院における問題と同じような構造があると思っています。
そうなると「手のかかかる子(本来的には、環境調整的支援が必要な子ということなのですが)については、特別支援教育という別枠へ」という方針は、現在の集団管理的な性質を持ったクラス運営を維持していくというか、破綻させないための必要悪になってきちゃうんですよね。
今、文科省や教育委員会は、一生懸命、通常クラスを担当している先生に「インクルーシブ教育」のスキルを伝えようとしていますが、ひたすらに多忙な先生方のマインドセットをそっちに変えるのは(誰に悪気があるわけでもなく)難しいことだろうなぁと思っています。
また先生たちは基本真面目なので、その気になって集団管理から個別対応への移行を一生懸命やり始めて、その負荷で潰れるみたいなことも考えられるなぁと。なので、現実的なのは、同時に専門スタッフを増やしていく方向の解決なんですよね。
そんなわけで、たまに現場に出動してます。
ということで、色々語ってきてしまいましたが、日本の教育現場はかなり大変で、先生方はよく頑張ってますよ、という話でした。ただ、常時ややキャパオーバーなので、個別の事案では、物事がこんがらがっておかしな方向に向かってしまうことは、一定数どうしても避けられないのが実情なんだろうなぁと。そんな時、たまに私が民間側から現場に出動しております。
保護者さんサイドの依頼が多いのですが、実際の問題解決のスタンスは「私も支援者の一人となるので、一緒に考えましょう」っていうところから始める感じですね。
上記のようなもともと無理がある状況なので、学校や教育委員会と極端に対決的なスタンスはあまりとらず、現場での相談支援、交通整理的な部分を大切にするようにしています。というのも、事案が終わった後も、当事者同士の関係は続くことがほとんどですからね。(弁護士である私は、その後は遠巻きに見守るようなスタンスです。)
ということで、うーん、ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、私のやってるスクールローヤー業務から見える風景についての記述でした。なかなか当事者のみなさんが大変な思いをしている分野だけに、支援のやりがいがあるなぁと感じています。この分野、携わる弁護士がもっと増えていくといいですね。